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BLOG 雑談

未来につながる枝落とし

先日、近くの通りを歩いていたときに、並木の枝落としの作業を目にしました。

木の成長には相生関係にあたる水や太陽だけでなく、相剋関係にあたる「枝落とし」が必要になります。

【相生相剋でイメージしてみる】

季節の流れを追っていくと、春に芽吹き成長していく枝や葉などは、秋には大きく広がりその彩りに目を見張ります。その後、葉や実が落ちて冬の季節を迎えます。そして12月に入ると次なる成長のために枝落としが行われます。枝や葉がそぎ落とされた木の姿には華やかさはありません。ある意味、飾り気のない素のままの姿をさらしている時間です。

この移り変わりを人に置き換えると、例えば「成長したものや手にできた物事を手放す」また「忍耐や我慢が必要な時間を過ごす」。このような事が「枝落とし」と同義になるのかなと思います。

木にしてみれば「枝落とし」に対して痛みを感じることはないのかもしれませんが、それでも未来のための「試練」と言い換えることができるのかもしれません。

私自身は、「試練」と呼ばれるようなことに対しては弱気な心が顔を出すことがありいい年齢になったものの、その点はまだまだ発展途上であることは否めません。

【算命学で自分の本質を知る】

枝落としされた木を見上げ、なんの装飾もない素の自分こそ「自分の本質」なのだろうと感じました。そしてその素に対して自分なりの強さを持ち合わせていたいと思いました。

「自分の本質」は算命学の命式に現れます。そして自分の本質の知ることは自分の武器を知ることにつながり、人生を渡る上での大きなヒントが得られるはずです。そういうところが算命学の魅力なんですよね・・・