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BLOG 雑談

霧の中をどう進む?

先日新幹線に乗っていた時、車窓から町を霧が覆っている風景に出くわしました。

その時目にしたのは、霧は地上の低い範囲を覆っていたのですがその上空は朝日が照らしとても明るい空間が広がっていた光景です。そして新幹線が進むにつれて、その霧の景色はなくなっていきました。

【天と地と人】

その光景を目にして「天・地・人」のことがふと頭によぎりました。私たち人間は、天と地の間の空間に生きています。

その空間の中で行動し生きているのですが、時に自分の居る場所にこの日に見たような「霧」が立ち込めているがごとく、周囲をよく見渡すことができない時や、物事がうまく進まないこと時が訪れることがあるなと思いました。

霧の中にいる時には、自分の意に反して前に進むことができなかったり、中断させられたり、不安な気持ちやどうしたらいいかわからないという感情が生まれたりすると思うのです。

【時中の教えとは】

ここで一つ言えることは「霧はずっと続いている訳ではない」ということです。易経の教えに「時中」というものがあります。「時中」とはその時にあったことをする事で物事が亨る(とおる)という教えです。

私は算命学の教えである自然・宇宙の摂理にあった視点を持つということと同義のように感じています。ですので霧の中ではそこにあった行動をとるということが東洋の教えの鉄則と言えます。

そして私が霧の景色を見て思ったことは、天(ゴールと例えます)に辿りつくまでには、時おり霧のような現象が現れることは当たり前のことであり(自然現象だからです)、一時的に止まったり、考えさせられたりするようなことに出くわすだけで、極論的には天(ゴール)そのものに何か障害物がある訳ではないということです。

【霧の出現率の高い人とは?】

霧が現れる頻度というのは、人それぞれ差があるものだと思います。(感覚値ですが)もしかしたら身強の方や宿命天中殺の宿命をお持ちの方などは、霧の出現度が高い可能性はありえるかもしれません。

時間の経過や場所を変えることで霧から抜け出すことはできると思います。この時「霧が晴れるまで待つ」か「霧がない場所まで動くか」という選択に迫られるケースはあり得ますが、どちらを選択するのかはその時の状況を踏まえることになると思います。

【霧の中を楽しむ自分に】

ここで出現した霧そのもの自体を「良い・悪い」と判断することはできません。なぜならば霧の出現によって自己成長できたり、功奏することもあるからです。算命学的な考えは「良い・悪い」の判断はしないところに特徴がありますよね。

加えて人にはそれぞれ自分が心地いいと感じる感覚や行動のくせがあります。だからこそ自分のペースを乱されたり、自分の思ったとおりに進まなかったりすることに、私たちは一喜一憂する(特に一憂)のかもしれません。

今回の話の場合、霧が出現した時にそのことを問題や障害とは思わず、その霧をいかに楽しむことができるかがポイントだと思います。口で言うは易しなのですが、近い将来そんな心を持てる自分に到達できるといいなと思った新幹線での出来事の戯言でした・・・