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BLOG 算命学あれこれ話

神社巡りで感じたこと

今年の夏は例年より長く地元で過ごしていたこともあり散策もかねて、久しぶりに地元の神社巡りをしてみました。

私は神社を訪れると目には見えないけれど、「神様」という存在に心をはせる自分がいることを実感します。そして算命学を学ぶ上でも、「神」という言葉がよくでてきます。

【算命学の教え】

(原典算命学大系より一部引用)

高尾宗家は、「算命学は古代人が作り上げた体験的自然科学理論」であるとおっしゃっていますが、算命学はすべての自然現象を神として受け止め、大地も海も宇宙に広がる星々も、神の意思であると考えています。

自然現象のすべてを神の意思としてとらえて行くためには、山であれ、海であれ、目の前にある皿や筆や机にも神がいると考え、そして道ですれ違った他人でさえ神が何らかの意思を伝えている縁であると考えています。

そして神(自然界)に助けを求めるのではなく、神が教えていることを人間自身がつかみとる必要性を説いていらっしゃします。

自分の心の感性を磨いて自然界全体に個人のアンテナを張り巡らせなければ神の意志を知ることが出来ず、また心の感性が低ければ当然神の低い意思をつかむことになるともおっしゃっています。

【自然界(神)の意思を感じるために】

私は神社仏閣を巡ることが大好きですが、その奥には「神様(自然界)の意思を感じられたらいいな」という淡い期待があることは否定できません(笑)。(もちろん、神頼みで得られるものではありません・・・)

算命学は宗教でないため、心の成長を学問、信仰、与えられた生活、職業の中で高めてよいとされています。このことは、自然界(神)からでなくとも、日々の生活や自分を取り巻くすべてのものに目を向けて、そこから自己の心の感性を高めていけるということを教えてくれているように思います。

今回の神社巡りを振り返ってみて、自然界から神の意思を読み取ることはまだまだ難しくとも、日々の生活の中で起こることすべてが、自分にとって必要であり大切な出来事であるということを改めて意識し、少しでも自分の感性を磨いていきたいと感じました。

自然界が自分に(人間に)対して何を問うているかを感じ取ることは簡単ではないですが、年齢を重ねる中で少しでもそのような感性を培っていけたらいいですね!