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BLOG 数理法

命日に思うこと

今年もまた恩師の命日を迎えました。

命日とは故人を偲ぶ日であると同時に、自分の「生と死」を考える機会にもなります。時々、友人とも「死」について話をすることがありますが、どのような死を迎えるかは言い換えると、「自分がどう生きていくのか」ということなんだろうと、最近ようやく思えるようになってきました。

「自分がいつまで生きるのか?」

算命学は「命を算ずる学問」と書き、自分の100年間のエネルギー値を計ることが可能ではあります。

ですがそれだけで死期を語ることはできないと思っており、その答えは神様や天のみぞ知ることだと私は思っています。

そして、算命学を学ぶ身としては、生きるとは自分に授かった「本能エネルギー」をどのようにして稼働させていくかということだとも思っています。

自分というタンクの中にある燃料(エネルギー)をどのようにして燃焼していくのか。タンクの強度、燃料の量、そして優位となる本能など、すべて一人一人違います。

できれば自分の優位本能を発揮しエネルギーを稼働させることも大切です。守備本能が優位で攻撃本能が劣位な場合は、守備本能をベースにした方がエネルギーがスムーズに燃焼しやすいことを意味しています。

恩師は、美しい「ろうそくの灯り」のような方でした。そして、自分らしい灯火で生きた方だと感じます。

ろうそくは「火」が灯されることで力を発揮します。自分をろうそくに置き換えた時、どう灯し続けるかを考えることがあります。

ろうそくの長さを人生の長さとした場合、もしかしたら途中でその火が消されることもあるのかもしれません。ですが、私も自分らしい灯火で回りを照らして生きていきたいと思っています。