算命学には、子供の育て方や育てる環境に関する教えも多く残されています。先月の教室でちょうど「環境対星」という子供の育て方に関する内容に触れたところです。
【韓流ドラマで学ぶ親子関係】
このお盆期間中に韓流ドラマをみていて、親子関係に関して算命学のことを想起させ、とても心に響いた主人公のセリフに出合いました。
~ウ・ヨンウ弁護士は天才肌 第7話より~
”「挫折すべきなら、私一人でちゃんと挫折したいです。お父さんが私の人生に毎回立ち入って、私の挫折まで防ぐのはイヤです」”
子供を持つ親であれば子供の幸せを願い、その想いから良かれと思って多くの手助けや、不要な心配をしてしまうこともあるかもしれません・・・上記のセリフは、親であれば自然なこの想いに対する自閉スペクトラム症の主人公のセリフです。
【人生は体験すること】
私たちはこの世に生まれて今という時を生きています。「生きる」ということの答えを考えることは難しいことであり、人によっても様々だと思いますが、その答えの中の一つに「体験する」ということがあると私は思っています。
大人であろうと子供であろうと、「一人ひとりに人生で体験すべきことがある」ために、人としてこの世に生まれてきたのだと私は感じています。そして体験の内容や大きさなどは一人ひとり別物であり、その体験を通して心(魂)から湧き上がる感情を知り、そこから学ぶことに意味があるのだと思っています。
このような考えに至ってから、自分が体験すべきことは何か、また体験を通じて何を感じ学んだのか、ということに想いを巡らせるようになりました。
日本人である私たちはともすると、よかれと思い「やってあげる」ことがあると思います。でも時に「人の体験の機会を奪っていないか?」という視点を持つことも必要なのかもしれません。
「これは自分がやることではない」となんでも人任せにしてしまうのは論外ですが、自分がなすべきことは率先して行い、人が困っている時、人手が必要な時に、タイミングよく手助けができる人でありたいです。
【業と中庸】
算命学には『三業干支』というものがあり、干支によってどのような『業(ごう)』があるのかにも触れています。辞書では一般的に業は「身・口・意が行う善悪の行為。特に悪業。また、前世の悪行の報い」という意味があります。
「業」ということを考える時、親子関係に限らず多くの人間関係において、自分の行動が過ぎても業につながり、足りていなくても業につながるのかもしれないと最近感じるようになりました。
そして、人生において算命学でいう『中庸』を知るために、私たちは多くの体験をしているのかもしれません。中庸を実践することは結果的に、人を信じ、また自分を信じることにつながるように思います。韓流ドラマを通じてそのようなことを感じた今夏のお盆でした。